★阿部幸大氏の「底辺校出身の田舎者が東大に進学して地元を振り返る」件について★

 

阿部幸大氏の(→「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由)が盛り上がっている.地方から都会に進学したり就職した者にとって,琴線に触れる内容であり,東京と地方,教育格差や文化格差についてご自身の経験を元にわかりやすく語られている大変に興味深く素晴らしい記事であると思う.

 

阿部氏は釧路出身で,東京大学に進学した後,東京大学大学院を修了し,ニューヨーク州立大学の博士課程にフルブライト奨学金を得て留学.という秀才である.浪人して東大に進学されていることから,この輝かしい経歴の裏で凄い努力をなされてきたのだろう.心から尊敬する.どうして自分は勉強の努力を怠ってしまったのか,20年前の自分をひっぱたいてやりたい.

 

さて,現代ビジネスに掲載された本記事は,「底辺校」「田舎」「絶望」「東大」という目を引く過激なタイトルであったことと,少々脚色があったことからバズって(炎上して?)200万PVを超えたという.現代ビジネス担当者は大成功と喜んでいるだろうし,阿部氏は(おそらく想定していなかったくらいに)一躍有名になった.いやはや凄い.

 

そして(→大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか)が続編として掲載された.前編の記事はとても良かったけれども,後編の記事はいささか拍子抜けした.いち読者として,いちファンとして,今後の連載がさらに充実することを願って,感想と読後の違和感を綴りたい.

 

 

まず,声を大にして言いたい.東京と田舎についての考察で最高のコンテンツは「腐ハウスブログ」の(→誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ))だと思っている.ご存知でない方は是非ご覧になっていただきたい.本稿で言いたいことはこれがすべてだ.世の中はバズるとか炎上するのが運と縁過ぎて,素晴らしいコンテンツも適切にストックされていかない.

 

阿部氏のブログを見て,田舎と東京の比較考察や,教育の機会や可能性の課題設定に,どれだけ過去の文献や論文を思いつけるか? それが教養であり知識のストックであると思う.阿部氏の記事は大変に面白く,問題提起も素晴らしかったけれども,正直彼女の圧倒的な心揺さぶるメッセージに比べるまでもない.

 

周りに大卒がひとりもいなかったら。
実家から通える高校が無かったら。
実家から通える大学が無かったら。
大学に進学するお金が無かったら。
出自による差別があったら。
別に勉強をサボったとかそういう話ではなくて、それ以前にあまりにも多くの環境の差がそれぞれにあり、それは金銭的なもの、地理的なもの、それから出自のこと、あまりにもそれぞれで、多分大学に進学するということただそれだけのことにも、ものすごい大きな壁がある。
私はたまたま運がよかった。

 

田舎と都会の可能性の差はここに要約されている.成功者(学歴勝者)の側からここまでここまで冷静に振り返りと,田舎に寄り添えることをどれだけの人が気づけるだろうか?思いつくだろうか? 努力ではどうにもならない運や縁が世の中にはあって,どうしても世界を憎んでしまいがちだけれども,彼女の優しさに溢れる文章は,そんな負の気持ちを和らげてくれる.

 

さて,阿部氏の記事について.まず,タイトルは注目を引く必要があったのだろうが「地方都市の進学校から東大に進学した研究者が感じる東京と地方の機会格差」とやんわりと変換して読めば,そんなにトゲトゲしくなることもなくなるだろう.

 

いかがなものかと思うのは,後編の批判・反論に対してコメントである.私が感じた違和感は「人口15万人超えの釧路市が田舎?」という点と「釧路湖陵高校という北海道でも有数の進学校に在校しながら,大学進学をイメージすることはきわめて困難っていうのは脚色が過ぎるのでは?」という点である.

 

それを後編記事では「否定されたと感じた方へ」と反論と説明でほとんどすべてが占められている.気づきもなければ問題提起もない残念な内容が大部分になってしまいもったいないと感じた.そもそも,釧路みたいな立派な地方都市から田舎を語られると興ざめだし,シンナー吸うどころか勢い余って飲んで救急に運ばれるヤンキーが身近ににいたとはとても思えない.そういうことだ.

 

公共交通機関もないような田舎は釧路の比ではないし,底辺の絶望的な闇の深さや救いのなさをもしご存知であればもう少し丁寧に語っていただくのは良いとしても(虐待や貧困の負のスパイラルについては →最貧困女子 (幻冬舎新書) 等に丁寧に書いてある),平仮名が書けない人というミクロの事例を出して,クレーマーの喧嘩を買うのは彼の主張したいことなのだろうか?

 

 

日本の大学受験はとてもフェアで努力の結果が比例する(環境による教育機会の差はあるけれども)素晴らしい制度であると思っている.それを中学までの偶然性で人生が決定するなどと夢のない結論に帰結することなく(もちろん貧困の問題はあるにしても),底辺とおっしゃる中学から進学校,東京大学,アメリカの大学院と輝かしいキャリアを切り開いていった話を掘り下げていただいて,ついでに地方の課題も指摘していただくとより良いのでは?と思った次第である.繰り返すが前編は素晴らしい問題提起であった.

 

と批評みたいな文章になってしまったので,ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の一節を最後に紹介して締めたい.

 

「あのね、コーリャ、それはそうと君はこの人生でとても不幸な人になるでしょうよ」

突然どういうわけか、アリョーシャが言った。

「しかし、全体としての人生は、やはり祝福なさいよ」